映画

川津プロジェクト

2009 年 9 月 29 日

水上先生から、川津プロジェクトの最終レポートが 届きました! – – – 川津プロジェクト 最終レポート ゆうばり公演 9月7日19:00、川津プロジェクトメンバーは、京都駅から2時間あまりの時間をかけて舞鶴港日本海フェリーターミナルへと到着した。夕張へ向けての出発地点である。 真夜中の0:40出航のフェリーのタラップを上がり、我々は狭い2等船室の男女団体船室へと案内された。カーペットの上に枕と毛布が12個ほど並べられ、丸い船窓からターミナルの寂しげな灯りが遠目に見えた。 この先、果たしてどんな困難が待ち受けているのだろうか、誰もが一度は考えてみたに違いない。そんな不安を紛らわそうと台本でも読みだしたら一貫の終わりである。 動き始めたフェリーでは、本を開いた時点で酔いそうなのだ。 しょうがない。こんな時は船酔いか酒酔いか分からなくなった方が良いのだ。と言ってもそんな事を思うのは、引率役の私くらいのものである。学生達は、公演の不安とまだ不十分な準備に大わらわなのである。 朝、目覚めて顔を洗おうと廊下に出たところで足元がふらついた。酒の酔いではない。 航海中の船がどんぶらどんぶら揺れているのだ。 そう言えば、昨夜制作担当の斉藤さんや西部さんが酔い止めだと言ってヘソにシップ薬を貼れと渡してくれた。まさか剥がれてはいまいか、私はぴったりとふさがったヘソを確認しつつ洗面所へと向かった。 朝食を取り、甲板に出た。日本海が果てしなく続く。見渡す限りの海である。 ふと、隣をみると学生達の顔もチラホラある。それぞれ思い思いにこの時間を記憶しているに違いない。2009年のこの時間は二度と来ないし、彼らの不安も期待も次には無いのだ。誰もが刻一刻と近づいてくる小樽到着にその心臓は高鳴っていた……。

20:45、小樽港に到着すると、すでに夕鉄バスさんが迎えに来てくれていた。 全ての段取りは舞台監督である澤井君が何度も夕張社協さんと刷り合わせ、万全の策を取ってくれていた。我々の無理を全て通してくださった夕張社協さんには本当に頭の下がる思いである。夕張まではバスで2時間、我々は乗り物を変え、最後の行程をひた走った。 宿舎は夕張市保健センターである。 すでに夜中の11時を回ろうとしているにも関わらず、門の前では夕張社協の係長・横川さんが我々を待ってくれていた。 大会議室に案内され、公演終了まで寝泊りする部屋に案内された。フェリーの団体船室から比べれば、広くて夢のような部屋だった。 しかも台所には、夕張市農協さんからの差し入れの現地野菜や米がふんだんに用意されていたのだ。 遡ること数ヶ月前、川津先生と下見調査と名する乞食の行を共にした。 その時、農協さんにも予算の無い我々にお恵みを戴けないかとお願いをした。だが、痩せた夕張の土地で必死に生きる農家にはそこまで出来る余裕は無いと逆に頭を下げられ、無言のまま帰路に着いた。その時の光景がフラッシュバックしていたからかもしれない。 『農協さんからの差し入れです』と書かれたダンボール箱の野菜や米を見た時には、思わず目頭が熱くなった。 翌日から我々は各セクションに別れ公演の準備に入った。 昼前に川津先生と合流し、早速ミーティングから始まった。食事班、美術小道具班、そして川津先生の稽古を迎える舞台スタッフ&役者班に分かれ、最終調整へと入ったのだ。 連日連夜、稽古や作業が続いていた。 食事班の斉藤さん、西部さん、中里さんは朝早くからまな板を叩き、米を研いで二十数名分の食事を作った。音響担当の木ノ下君や照明担当の木村さん、演出補の中平君、そして舞台監督の澤井君は夜を徹して打ち合わせをし、美術も山のようにある作り物に担当の杉尾さんは食事の時間も惜しんで働いた。俳優たちも公演前のプレッシャーに立ち向かうべく稽古あるのみと自分の時間を割いていた。

(食事の準備・ボランティアの皆さん)

(農協から戴いた野菜の一部)

(朝の風景)

(食事風景) 【公演】 毎年ある『ふれあい広場』のイベント会場(夕張市社会福祉協議会前の広場)は、夕張市はもちろん、札幌や北海道の各地から集まった人々で埋め尽くされる。この日も例外ではなかった。真っ青に晴れ渡る空にどこから吹くのか大地の風が辺りの木々をなびかせていた。

(ふれあい広場会場) 思い起こせば今年の2月、俳優の川津祐介さんが特別講師として本学科の俳優コースの学生達のために招聘された。その後、川津先生は参加してくれた学生らと財政破綻した夕張市へ演劇を持ち込み、疲弊した市民の心を癒せないかと本学へ提案された。 すでに本年度のカリキュラムはとっくに決まり、シュラバス(カリキュラム要項)も当然入稿されていた頃である。しかし一念巌をも通すとはこの事だろう、川津先生の熱意は本学教学部を揺り動かした。 異例のカリキュラム決定となって、若干だが予算が下りることになった。といえど、それは川津先生に対する報酬に加え、通常の授業費程度のものだった。 決して二十数名が北海道へ行けたり、公演を打つための美術費や劇場費、ましてや宿泊費などが含まれるものではなかった。 それも当然の事である。あまりにも急な話に大学も予算など振れるはずもなかったのだ。 しかし、予算が無いからあきらめてしまえばそれまでである。夕張市民が財政破綻したと言って市民は生きることをやめるだろうか、我々にはまだ苦難を圧す熱意があるはずだ。 ここでくじける者が夕張市民を激励する事などできるわけがない。 正直、事態は深刻を極めていたが、映画人とは不撓不屈の精神を持ち合わせているものだ。 しかも俳優歴五十年程にもなる川津祐介先生はそのエキスパートとも言える人であり、何より、不運を幸運に変えて来た人だった。 『一人、夕張に頼れる方がおります』確か川津先生はそう言った。そして夕張市社会福祉協議会の係長横川氏を紹介してくださったのだ。 5月の連休明けに川津先生ご夫妻と私、そして大学院生で今回のプロジェクトに参加したいと名乗り出た木ノ下君は、横川さんを頼って夕張の地に赴いた。 夕張市を下見し、市民の暮らしを垣間見た。涙が出るような話もいっぱい聞いた。 そこで川津先生は『天使はユーポロを目指す!』の構想を得たし、制作統括の私は夕張社協が主催する『ふれあい広場』の特別事業として共催して戴ける交渉を得たのだった。

(稽古風景) 『ふれあい広場』とのタイアップが決まると、加速度的に制作面が動き出した。 あとは芝居だ。何度となく演出補の中平君は俳優仲間に発破をかけた。 元々は興味半分で参加した学生達が多かったのかもしれない。しかし、川津先生の授業や学生達の自主稽古が繰り返されるたびに一人一人が変わり始めた。 自分がこの作品の中になくてはならない存在だと気付き始め、自分達の甘えや弱さが夕張の人を傷つけるだろう事を恐れだした。その気持ちに抗うべく、彼らは大地に足を踏み入れる勇気を徐々に備えていったのだ。

(演出補 中平君) リハーサルを繰り返し、当日の本番さながらのゲネプロ(最終リハーサル)で彼らはきっとこの地に来た意義を感じたに違いない。 本番の幕が開いた。300席以上もある会場は満杯だった。 天使役の斎之内さんから始まって熱演が続く。川津先生本人もバスの運転手役で登場すると拍手が沸き起こった。役者達が汗を飛ばし、ステージを駆け回りながら自分のこの数ヶ月の成果を観客に投げかける。 夕張市の実情を語るシーンになると客席は一瞬水を打ったように静まり返った。 それでも役者は魂を吐き出すかのように一つ一つのセリフを語り続けた。次の瞬間、すすり泣きが聞こえ出した。と同時に拍手喝采が会場にこだました。 カーテンコールは演劇をやってきた私も見たことのないものだった。 役者一人一人が観客に短いコメントを送ると、観客もそれに応えるかのように拍手した。 さらに驚くことは、役者達が客席に下りると観客達は立ち上がり、その肩を抱き、抱擁しだした。老婆が自分よりずっと背の高い役者をわが子のように抱き、『ありがとう』と見上げていた。川津先生もご老人達と手と手を取り合い、『ありがとう』を言い続けた。 役者も観客も泣いていた。 学生たちは人を感動させる事がどれだけ困難であり、嘘の無い世界であるかを心に刻んだはずだ。自分達が努力をしたから、悔しい思いをしてここまで来たから、日々努力して暮らしている人々が演劇などという嘘ごとにも涙を流してくれる事がわかったはずだ。 彼らは再び誰かを感動させたいと考えるだろう。 そのときに、この日を思い出してくれればこのプロジェクトはようやく成功したと言えるだろう。 近い将来、そんな日が来る事を願って、最終レポートは終えることにする。

最後に、このプロジェクトを応援してくださった夕張市の皆様、社会福祉協議会会長の横川さん始め、係長の横川さんや社協の方々、野菜を自ら届けてくださった夕張市農協の前田専務、美味しい食事を作ってくださったボランティアの皆様、その他、支援金を送ってくださいました多くの方々に本大学及び映画学科一同、心から感謝して御礼を申し上げます。 本当にありがとうございました! (レポート 『川津プロジェクト』制作統括 水上竜士) – – –

ゆうばり社協Blog:ありがとうの心

川津祐介の神住まう家

財政破綻のマチ 支え合う姿熱演
俳優・川津さんら創作劇

(2009年9月13日 北海道新聞) Filed under: 川津プロジェクト — 映画学科 10:45 AM

2009 年 9 月 16 日

演劇で夕張にエール (2009年9月11日 読売新聞)

夕張市民が拍手喝采…川津さん企画の演劇

(2009年9月13日 読売新聞)

財政破綻のマチ 支え合う姿熱演
俳優・川津さんら創作劇

(2009年9月13日 北海道新聞)

「応援劇」夕張に元気 川津祐介さんら創作

(2009年9月13日 asahi.com)

また、川津プロジェクトと併せて、日経ネット関西版に本学科が紹介されています。

地域の新風景(2) 撮って・演じて他者学ぶ
(2009年9月2日 日経ネット関西版)

Filed under: news,川津プロジェクト — 映画学科 1:05 AM

2009 年 9 月 7 日

本日、川津プロジェクトメンバーが夕張へ出発いたしました!いよいよ今週末公演です! – – –

川津プロジェクト授業開始から5ヶ月あまり、 いよいよプロジェクトは夕張大地への軌道に乗りました。 夢見た大地への一歩は、 我々にとって大きな一歩になるはずです。

水上竜士

夕張市社会福祉協議会共催「ふれあい広場 特別公演」
天使はユーポロを目指した!

作・演出 川津祐介(本学科客員教授)

出演 川津祐介・京都造形芸術大学

9月12日(土)13:30開場・14時00開演
夕張市老人福祉会館集会室

(定員400 桟敷席・定員50 椅子席映像室)

無料

紹介が遅くなってしまいましたが、産經新聞でも本プロジェクトが紹介されました。

創作演劇で夕張応援 教え子学生らと俳優の川津さん (産經新聞 2009年5月31日)

http://sankei.jp.msn.com/politics/local/090531/lcl0905311504000-n1.htm

川津先生のブログ、ゆうばり社協様のブログも 是非ご覧ください!

◆ ゆうばり社協Blog:ありがとうの心

◆ 川津祐介の神住まう家 Filed under: news,川津プロジェクト — 映画学科 8:15 PM

2009 年 8 月 15 日

夕張市社会福祉協議会さん(http://blog.canpan.info/yubari-shakyo/)の絶大なる支援と全国の支援者の寄付によって、本学科「川津プロジェクト」もようやく夕張の大地へと向かう軌道に乗り始めました。皆様、ご支援本当にありがとうございます。
   このプロジェクトは、本学のカリキュラムとしては極めて異例で、年度初めの授業計画(シラバス)にも載っていないプロジェクトであります。 なぜなら、授業計画は常にその前年度末には計画、予算計上されるのが通例ですが、このプロジェクトにおいては、それが出来ませんでした。 理由の一つには、川津先生との出会いとカリキュラム計画とに時差があった事でした。 二つ目は言うまでもなく予算です。履修者二十数名を夕張まで引率するとなると、交通費や滞在費だけでも相当な予算が必要になってしまいます。いくらやる気と熱意があっても予算がなければ舞台セットを作る釘一本も買えないのです。 しかし、川津先生の熱意は学科を動かし、そして本学までも揺り動かして異例のカリキュラム認定と授業予算の承諾を得られました。これにはもちろん本学執行部の英断とご厚意があることは言うまでもありません。 しかし、予算は決して潤沢なものではありませんでした。舞台美術費も小道具費も機材費もそして宿泊費も公演に関わる経費は、一切賄えるものではありませんでした。 つまり、カリキュラム成立とは、決して公演の成立を意味するものではなく、暗雲の中を手探りで夕張の大地に向かって突き進まなければならない非常に過酷な戦いでした。 今となっては夕張市社会福祉協議会さんや夕張市のボランティア団体の方々、そして全国の方々の絶大なる支援を受けておりますが、このプロジェクトの始まりには、本学の支援以外、誰も助け舟を出してくださる方はいなかったのです。 この予算不足は、川津先生やこのプロジェクトに参加する学生達にとっては、大きな不安であったに違いありません。 しかし、過酷な現実から逃避せず、未来に向かって何ができるかを考える事は、夕張市民の方々から学び始めていたのです。学生達はまず、インクカートリッジの再生利用から得られる僅かな資金調達から始め、平行して舞台予算の倹約を計りました。 さらに夕張社協さんのご協力を仰ぎ、全国から寄付を募って資金不足を理由に断念する事を非として現状と向き合いました。

いい芝居を作り、そして夕張市民を激励する日が来る事だけを旨に、学生達は彼らの戦いを続けたのです。 未だ舞台美術などの経費は最小限にとどめております。宿泊場所もお借りする稽古場を予定しています。ただ、支援者の方々の寄付のおかげで、当初は寝袋持参での宿泊だったのが、布団を借りる算段が付きました。学生達はそれだけでも贅沢さと有り難みを感じ、支援者に深く感謝しています。

彼らは毎日自主稽古をしています。さらに今回、8/12~14にかけ、川津先生の猛特訓も始まりました。彼らの目は今や当初不安だらけだった時のものとは違います。 きっと、彼らはこの公演を通して、大きな何かを掴むに違いありません。それこそが、夕張市民と通底する『希望』である事を感じ始めて……。

夕張市社会福祉協議会共催『ふれあい広場 特別公演』、『天使はユーポロを目指した!』を、乞うご期待くださいませ。

夕張市社会福祉協議会共催「ふれあい広場 特別公演」
天使はユーポロを目指した!

 9月12日(土)13:30開場・14時00開演

夕張市老人福祉会館集会室

レポート:水上竜士

Filed under: 川津プロジェクト,授業風景 — 映画学科 8:42 PM

2009 年 8 月 11 日

川津プロジェクトが夕張でお世話なる
夕張市社会福祉協議会(共催)さんが、本学科の「川津プロジェクト」のために寄付を募り、公演に向けての支援をしてくださっております。 社協さんには、心より感謝いたします!

夕張社協ブログありがとうの心

http://blog.canpan.info/yubari-shakyo/ 皆様、ぜひ一度、夕張社協ブログ「ありがとうの心」にお立ち寄りくださいませ。 Filed under: news,川津プロジェクト — 映画学科 1:37 AM

2009 年 7 月 5 日

現在、川津プロジェクトでは、川津先生自らが脚本を書かれた「天使はユーポロを目指した」の稽古へと突入いたしました。 内容は、夕張市の財政破綻をモチーフに、天使達が奮闘する心温まる物語です。

配役を決定された今後は、プロジェクト参加者が一丸となって夕張へ向けての猛稽古に励むつもりです。また、スケジュール、予算見積もりの再確認など、公演に向けての各セクションが綿密な打ち合わせをし、一歩一歩夕張へと近づいていきたいと思います。

天使たちは人間世界に後悔を残していた。本当はもっと天使らしい働きをしたかったのにと。だから、天使達は再び人間界に舞い戻った。決して次は後悔をしない事を心に誓って……。

(水上竜士)

Filed under: 川津プロジェクト,授業風景 — 映画学科 1:15 AM

2009 年 6 月 1 日

充実の夕張レポート、ついに最終日です! – – –

最終日

我々(水上と木ノ下君)にとっては最終日であります。この日の夕方の便で関西空港へと戻るのです。 川津先生ご夫妻は、さらに札幌へと足を伸ばし、新党大地の鈴木宗男議員の選挙事務所や各方面への体当たりでの支援要請を試みる予定です。 10:30~南部サロンにて親睦会。 御老人たちから色々なお話をお聞きした後、心をこめて作ってくださった手料理を戴きました。

その後、夕張市消防本部を表敬訪問し、そこで働く女性消防士・多田さんにインタビューをお願いしました(すでに社協の横川氏より連絡が入っていて、お休み中を出てきてくれていました)。ですが、次の記者会見まで時間が無いのでまるで誘拐でもするかのように多田さんをお連して社協へと向かいました。

現在24歳の多田さんは、夕張に生まれ育ったわけではありません。 彼女がまだ大学生だった頃、市の財政破綻に伴い多くの公務員が退職を余儀なくされるという現状を知りました。 それは、消防隊員も同様で、その退職記事に影響を受けて自分に何か貢献できる事はないかと大学在学中に消防学校へ入学されたのです。 しかし、消防隊員は並みの努力で成れるはずもなく、20キロ以上の防火服を着込んでの訓練は、想像を超えるほど厳しいものだったそうです。しかも、女性だからと訓練を軽減されるようなものではありません。 諦めは、死に直結します。彼女の隊員になるまでの話を聞きながら、胸に熱いものがこみ上げてきました。貢献するという夢においては、すでに成就しているに違いありません。 ですが、更に彼女は救急救命士を目指して勉強中だと笑顔を見せていたのです。 多田隊員なら必ずなれるに違いない。そして夕張市民を守ってくれるに違いない。 我々は確信して握手を交わしました。 *救急救命士とは……病院への搬送途上に限り傷病者に対し、救急車等にて救急救命処置を施し、速やかに病院へ搬送する事を目的とした国家資格の名称です。5年以上の救急業務を経験し、2千時間以上の救急車乗車経験を経て、初めて受験資格が与えられます。 14:30~記者会見を経て、私と木ノ下君は新千歳空港へと向かいました。 必ずこの地へ戻ってくる事を心に誓って……。

(各新聞者、夕張支局のメンバーらと) 水上竜士 – – – 川津先生、水上先生、木ノ下君、お疲れ様でした! 川津先生もブログに夕張のレポートを書かれています!

◆ 川津祐介の神住まう家

Filed under: 川津プロジェクト — 映画学科 9:52 AM

2009 年 5 月 31 日

三日目 10:30~出発。 午前中の予定は、川津先生の講演会。 会場に入ると集会室を埋め尽くす市民の方々を前に川津先生にも緊張がみなぎります。 しかし、さすが百戦錬磨の俳優です。挨拶を終えると流暢な講演が始まりました。

朗読を最後に講演が終ると、昼食を挟み植樹会。

社会福祉協議会は市の破綻後、自治運営により3年目を迎えられたと言います。 その記念植樹会、ありがたい事に新聞社が数社とNHKが取材に来てくれていました。 いよいよ我々がここに来た意義を伝える時でした。我々がこの夕張で出来る事は何か? 予算が無いなどと言っている場合ではありません。 ヒッチハイクしてでも来るつもりでなければ、夕張市民を励ます事など無理な話です。 植樹会のスコップを握る手に力が入った……。 植樹会を終えると、破綻した夕張市市役所へ向かい、副市長にご挨拶して我々が9月にこの地へ来るつもりである事をお伝えしました。

その後、夕張市観光協会、夕張市民会館などを視察。 辺りを見回すと、映画の看板があちこちで掲げられています。そうだ、ここは「ゆうばりファンタスティック映画祭」の開催地でもあるのです。 今年の映画祭審査委員長は、本学科教授の高橋伴明監督でした。(2月開催) 我々も必ずこの地に来る事を心に誓う……。 夜、ユースホステルで夕食を戴き、自家栽培しているという無農薬野菜をふんだんに使った料理に舌鼓を打ちました。 今日の川津先生は相当に疲れているはずでした。一同、明日に備えて早めの床に着く事になりました。

(次回、最終日に続きます!)

Filed under: 川津プロジェクト — 映画学科 3:10 PM